飛騨古川祭 -起し太鼓が響く夜-
飛騨古川祭 -起し太鼓が響く夜-
古川やんちゃの誇り
飛驊の古川町で、冬、しぼりたての生酒を酌み交わしながら祭りの話を聞いた。その中で、“古川やんちゃ”という言葉が盛んにでる。
さて、古川やんちゃとはなんだろうか――?
飛驊古川の歴史は、あまり知られていないが飛驊高山よりも古い。それが古川人の自慢でもある。
古川に先ず、室町の姉小路文化が伝えられ、飛驊大名の金森氏が高山よりも早く古川に城を築き、京都に想いを馳せて町づくりをした。そして、江戸時代、幕府の天領になると江戸文化が入る。古川では、京都と江戸、ふたつの文化が見事に融合している。
その代表的なものが飛驊古川祭である。
豪華な屋台に華麗な京の文化を、豪快な起し太鼓に勇壮な江戸の文化を見ることができる。
飛驊古川祭は、4月19日の試楽祭、起し太鼓。20日の本楽祭。21日の還御祭と続く。 深夜の起し太鼓の“動”と本楽祭の屋台の“静”は劇的な空間をつくりだす。
この動と静が相和して、はじめて古川祭は成立する。このとき忘れてならないのが古川やんちゃである。
冬から春の古川祭へ古川の男衆と出会い語り合ううちに、祭りを担っているのは、まさに古川の男たちの心意気、つまり古川やんちゃであることがわかった。
気性が激しく、頑固だが、なかなかウイットに富んだ心のやさしい男たち。
祭り話になるともう止まることをしらない。付け太鼓の激しさ、喧嘩騒ぎ、反骨精神あふれるエピソードがいつまでもつづく。
「決して簡略化せず、古いしきたりを守る、それが古川祭だ!」 と語るその顔にやんちゃの誇りを見た。
私たちは、この古川やんちゃに惚れたのです。 古川祭を記録することは古川やんちゃを記録することでした。
古川の男衆が祭りに向けて、こころを昂らせるように、私たちもボルテージを上げていきました。そして、その爆発が―起し太鼓が響く夜―だったのです。
曽田 信(映画監督)
飛驊の古川町で、冬、しぼりたての生酒を酌み交わしながら祭りの話を聞いた。その中で、“古川やんちゃ”という言葉が盛んにでる。
さて、古川やんちゃとはなんだろうか――?
飛驊古川の歴史は、あまり知られていないが飛驊高山よりも古い。それが古川人の自慢でもある。
古川に先ず、室町の姉小路文化が伝えられ、飛驊大名の金森氏が高山よりも早く古川に城を築き、京都に想いを馳せて町づくりをした。そして、江戸時代、幕府の天領になると江戸文化が入る。古川では、京都と江戸、ふたつの文化が見事に融合している。
その代表的なものが飛驊古川祭である。
豪華な屋台に華麗な京の文化を、豪快な起し太鼓に勇壮な江戸の文化を見ることができる。
飛驊古川祭は、4月19日の試楽祭、起し太鼓。20日の本楽祭。21日の還御祭と続く。 深夜の起し太鼓の“動”と本楽祭の屋台の“静”は劇的な空間をつくりだす。
この動と静が相和して、はじめて古川祭は成立する。このとき忘れてならないのが古川やんちゃである。
冬から春の古川祭へ古川の男衆と出会い語り合ううちに、祭りを担っているのは、まさに古川の男たちの心意気、つまり古川やんちゃであることがわかった。
気性が激しく、頑固だが、なかなかウイットに富んだ心のやさしい男たち。
祭り話になるともう止まることをしらない。付け太鼓の激しさ、喧嘩騒ぎ、反骨精神あふれるエピソードがいつまでもつづく。
「決して簡略化せず、古いしきたりを守る、それが古川祭だ!」 と語るその顔にやんちゃの誇りを見た。
私たちは、この古川やんちゃに惚れたのです。 古川祭を記録することは古川やんちゃを記録することでした。
古川の男衆が祭りに向けて、こころを昂らせるように、私たちもボルテージを上げていきました。そして、その爆発が―起し太鼓が響く夜―だったのです。
文部省選定
優秀映画鑑賞会推薦
シリーズ <民俗芸能の心>
英映画社
監修 | 高橋秀雄 |
協力 | 古川町 気多若宮神社 古川祭保存会 古川屋台保存会 青龍台組 麒麟台組 龍笛台組 神楽台組 三番叟組 三光台組 清曜台組 闘鶏楽組 鳳凰台組 金亀台組 白虎台組 宮本組 |
製作 | 宮下英一 |
プロデューサー | 長井貢 |
演出 | 曽田信 |
撮影 | 小林治、三角善四郎、相馬一成 |
撮影助手 | 長井和久、彦坂宣明、中山憲一、嘉本哲也、有賀久雄 |
解説 | 久米明 |
照明 | 前田基男、北沢保夫、鎌田勉 |
音楽 | 原正美 |
効果 | 小森護雄 |
タイミング | 三橋雅之 |
ネガ整理 | 川岸喜美枝 |
録音 | 読売スタジオ |
現像 | IMAGICA |
製作進行 | 内海穂高 |