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カテゴリ:1961年

御母衣ロックフィルダム 第一部/第二部

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御母衣みほろロックフィルダム 第一部/第二部

 大家族制度の合掌作りと平家の哀史で、その名を知られた奥飛弾の白川郷に、世界で一、二を競う大規模なロックフィルダムが企業者電源開発株式会社、施工者株式会社間組に依って建設されました。庄川には既に七力所の発電所があり約三十万キロの電力が起されて居りますが、その最上流御母衣地区に総貯水量三、七億トンの大人造湖を作り最大出力二十一万五千キロワットの地下発電所を建設する世紀の大工事が即ち此の御母衣ダムの建設です。
 御母衣地区一帯は岩盤が軟弱で従来日本で作られて居たコンクリートダムは不適当であり、加うるに交通不便の僻地であるため彪大な建設材料を輪送するには巨額の費用を要するのであります。そこでダムの主体となる諸材料が現場附近で充分入手出来るので経済性と安全を主眼に我が国では初めてロックフィルダムの建設が採用されました。
 ダムの高さ百三十一米、敷幅五百六十米、堤長四百五米でダムの総体積は八百五万立方米というエジプトの大ピラミッドが三つもはいるといわれる巨大なものです。
 日本で始めて作られる此のマンモス・ダム――。
 綿密周到な計画と高度に機械化された間組の技術に依って、昭和三十二年六月着工、爾来僅か四〇力月と言う短期に完成されたのです。
 即ち映画は昭和三十二年六月着工事から全工程の七〇%、即ち約五六〇万立方米の盛立が完了した三十四年秋迄の約二十八力月の工事情況を「第一部」として収録してあります。
 「第二部」はカラー・ワイドフィルムを使用して工事最盛期に於ける状況、洪水吐や取水塔等の附帯工事を記録しております。
 工事は着工以来二年有余ヵ月昭和三十五年十月、 八百五万立方米の盛立を完了し、越えて文化の日十一月三日には待望の湛水を開始し、三十六年一月遂に工期を短縮して一部発電開始に成功、四月には遂に二十一万五〇〇〇キロの送電が開始されました。
 こうして三〇万キロ火カ発電所に相当する此の御母衣ダムは世界土木学界の期待に応えて完成し、日本土木技術の飛躍的な発展をもたらしました。
 更に此の電力は中部地方の電力調整に重要な役割を果しつつ日本産業振興の偉大なる動力源として日夜働いて居るのです。

企業 電源開発株式会社
企画 株式会社間組
製作 英映画社
第一部イーストマンカラー48分
第二部アグファカラー・シネスコ47分

山かげに生きる人たち

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山かげに生きる人たち

 ある地方の山奥、福島仁作の一家は、炭を焼いて生計をたてている。稼ぎ手はスエと二人。夫婦は木を切り、炭を焼き、 けわしい坂道を部落まで炭を出し事業主の旦那から代償に貰った、米、味噌、塩魚などを背負って山に帰る。そんな暮らしである。
 次男の作次(小学校三年生)は、やはり近所で炭を焼く、樺太引揚者の正平の家の子供、さわ子と仲良し。母が病気で修学旅行に行けないさわ子に、作次は秘密の場所を教えて、慰さめる。
 作次の姉、のぶ江(小学六年生)は版画が上手で、県のコンクールに入賞し、遠くの町まで賞を貰いに行く事になる。スエはのぶ江の晴着にと、ワンピ一スを買って来るが、それがもとで夫婦喧嘩になるが、やがて、それも収まり、のぶ江は、スエや先生と、町へ行く。楽しい一日――。しかし、偶然、正平が、棺桶を背負って火葬場に急ぐ姿に出会う。さわ子がいつも守りをしていた弟の安男が急病で、町の病院まで来たときにはこと切れていたのだ。正平は「あの子は、これだけしか命っコ、貰って来なかったんだべ」と嘆く。
 一方、仁作の家でも、炭焼きの唯一の資本である窯が落ち、家の不幸を救うため少しでも足しにしようと思った作次が、岩魚とりをして、熱を出し肺炎を起してしまう。しかし、医師や分校の先生や、トラックの運転手の努力で、辛うじて救われる。
 正平の家は、働き手の母は身体が悪く、子供にも死なれ、経済的に行き詰って、さらに奥の山に流れて行く事になる。わびしい送別の宴が仁作の家で開かれる。
 正平は、樺太にいた頃のよき時代を思い浮べながら、ぬきさしならぬ炭焼きのくらしの苦しさを嘆く。
 出発の日、家財道具一切を背負った正平一家は、分校で、先生や小供たち一同に別れを告げる。
 さわ子は、作次やのぶ江が呼ぶ声を背に、しょんぽり駆け去って行く。
 そして、今日も仁作は、そんな炭焼きのきびしい暮らしを一身に背負ったように、たくましい顔に汗を流し乍ら炭窯に立ち向っている。


文部省特選
東京都教育委員会準特選
第16回芸術祭賞
1961年教育映画祭技能賞
第16回毎日映画コンクール金賞
第8回東京都教育映画コンクール金賞
昭和36年度キネマ旬報ベスト・テン第2位

厚生省
英映画社
白黒50分

製作 高橋銀三郎
西岡豊
脚本 西岡豊、青山通春
監督 青山通春
撮影 黒田清己
照明 内藤伊三郎
美術 阿部三郎
音楽 林光
効果 大野松雄
編集 宮森みゆり
助監督 島田耕
製作主任 滝川正年
出演 福島仁作…加藤忠
スエ…真木小苗
のぶ江…小原孝子
作次…高橋和雄
山田正平…和沢昌治
かつ…野辺かおる
さわ子…杉田和子
高沢先生…森幹太
医者…永井玄哉
看護婦…石川敬子
郵便配達…陶隆

若がえる街

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若がえる街

<内容のあらまし>
 衣と食が次第に豊かになってきた今日、老朽化した住宅やせまいバラック住いが生活の向上をさまたげるガンとして誰もが困っています。木造アパートや密集した木造住宅街の火災の事故もあとをたちません。商店は豊富な商品をかかえ火災の危険のあるゴミゴミとした町並みにあって、経営の近代化をはばまれています。工場の煤煙、騒音、震動は附近の住宅の環境を害しています。スポーツや子供の遊びのための公園や市民生活にゆとりを与える緑地も不足しています。
 このようなゆきづまった街を、火災などの災害のない街にし、市民生活を快適に、安心して気持のよい商店街で買物のできる街にし、工場は生産するのに能率的にして、……このような街を作りあげるために土地と建物の利用を全く思いきってつくりかえ、新しい時代の要求にこたえて都市をつくり直し、若がえらせるのが都市の再開発です。
 この都市を若がえらせる街づくり ― 岡山県における都市の再開発事業 ― が、県政の重点施策としてとりあげられたのは昭和34年の暮でした。そして岡山市の中央商店街上之町、中之町地区がその第一陣として手がけられ、66店舗の商店が一挙に参加して街は見ちがえる程立派になりました。この映画は、そのたくましい工事記録であり、美くしい建設譜であります。

岡山県
英映画社
カラー40分

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