
カテゴリ:1987年
ふるさとからくり風土記-八女福島の燈籠人形-


ふるさとからくり風土記-八女福島の燈籠人形-
<解説>
八幡宮には、大きな大きな楠が天をおおって、中秋の名月が出ていても、境内はまっくらです。だから、境内に組まれた三層の人形屋台の各階の軒に、吊るせるだけの提灯をともすと、屋台はひときわ明かるく輝き、屋台そのものが鱗光を発しているのではないか、と思われるのです。その屋台の中から、タッポポタポポと陽気なお囃子が聞こえてきます。お囃子にあわせて、明かるく照らしだされた舞台の、 咲き乱れる花園にかかる橋の上で、背丈二尺たらずのお姫様が、絢爛たる衣をひるがえして舞うのです。 この人形からくり「国指定重要無形民俗文化財 八女福島の燈籠人形」が伝え残されている北九州、八女――三方をゆるやかな山脈で囲まれ、一方を有明湾に開いている理想的な地形の平野で、大陸から渡来した稲作文化が最初に定着した一帯です。古代人の古墳や遺跡も数多くみられます。この平野は稲作 生産力を背景に、さまざまなモノを自給自足し、やがて、有用の美を求める職人の町が育っていきます。 江戸期になり、製紙、製蠟が盛んになると、八幡様の氏子たちはお祭りのとき、人形燈籠を奉納する嗜好を思いつきます。やがて、大阪に人形浄瑠璃が生まれ、竹田からくりに人気が集まっているのを知り、 職人たちはたちまちからくり仕掛けを考案して、人 形を作り、不夜城の如く提灯をともして八幡様にご覧にいれようと思いたったのです。18世紀の半ばのことでした。たった一夜の、神にささげる宴のために、大工棟梁たちは工夫をこらした継手、仕口で、釘1本使わずに三層の木造屋台を組みあげ、日頃遊芸にいれあげた職人さんは、その音曲を披露し、 その囃子にのせて若い衆たちは工夫をこらしたからくり人形を操るのです。舞台の袖には、人形の後見人の名目で威儀をただした男の子が座ります。 毎年毎年、くり返される人形たちの舞いと、人々のにぎわいを、境内の大楠は静かに見続けてきたのです。そして、来年もまた……これは日本の、日本人の心のふるさとでもあるのです。
八幡宮には、大きな大きな楠が天をおおって、中秋の名月が出ていても、境内はまっくらです。だから、境内に組まれた三層の人形屋台の各階の軒に、吊るせるだけの提灯をともすと、屋台はひときわ明かるく輝き、屋台そのものが鱗光を発しているのではないか、と思われるのです。その屋台の中から、タッポポタポポと陽気なお囃子が聞こえてきます。お囃子にあわせて、明かるく照らしだされた舞台の、 咲き乱れる花園にかかる橋の上で、背丈二尺たらずのお姫様が、絢爛たる衣をひるがえして舞うのです。 この人形からくり「国指定重要無形民俗文化財 八女福島の燈籠人形」が伝え残されている北九州、八女――三方をゆるやかな山脈で囲まれ、一方を有明湾に開いている理想的な地形の平野で、大陸から渡来した稲作文化が最初に定着した一帯です。古代人の古墳や遺跡も数多くみられます。この平野は稲作 生産力を背景に、さまざまなモノを自給自足し、やがて、有用の美を求める職人の町が育っていきます。 江戸期になり、製紙、製蠟が盛んになると、八幡様の氏子たちはお祭りのとき、人形燈籠を奉納する嗜好を思いつきます。やがて、大阪に人形浄瑠璃が生まれ、竹田からくりに人気が集まっているのを知り、 職人たちはたちまちからくり仕掛けを考案して、人 形を作り、不夜城の如く提灯をともして八幡様にご覧にいれようと思いたったのです。18世紀の半ばのことでした。たった一夜の、神にささげる宴のために、大工棟梁たちは工夫をこらした継手、仕口で、釘1本使わずに三層の木造屋台を組みあげ、日頃遊芸にいれあげた職人さんは、その音曲を披露し、 その囃子にのせて若い衆たちは工夫をこらしたからくり人形を操るのです。舞台の袖には、人形の後見人の名目で威儀をただした男の子が座ります。 毎年毎年、くり返される人形たちの舞いと、人々のにぎわいを、境内の大楠は静かに見続けてきたのです。そして、来年もまた……これは日本の、日本人の心のふるさとでもあるのです。
芸術作品賞
文部省選定
優秀映画鑑賞会推薦
日本映画ペンクラブ推薦
シリーズ ―民俗芸能の心―
英映画社
監修 | 高橋秀雄 |
協力 | 文化庁文化保護部 八女市教育委員会 八女福島の燈籠人形保存会 |
製作 | 宮下英一 |
プロデューサー | 長井貢 |
演出 | 松川八洲雄 |
撮影 | 清水良雄 |
照明 | 前田基男 |
録音 | 加藤一郎 |
効果 | 井橋正美 |
解説 | 来宮良子 |
撮影助手 | 小林治、北条豊 |
現像 | IMAGICA |
録音所 | 読売スタジオ |